持っている世界が一つだけの人間は弱いと思います。
その世界がうまくいかなくなったとき、人生がうまくいかなくなることと同じだから。
よく、受験に失敗して自殺、とか、いじめが苦で自殺、とかあるけれど、
その人の世界が受験だけじゃなく、ほかにも習い事をしていたり、友達がいたら違ったんじゃないかとか、学校以外にもなにか違う場所があったらよかったんじゃないか、とか、安易だけど思ってしまう。
私だって幼いころから何個か世界があった。中学のころにはそれを自覚していた。
いやなことの後にはいいことが必ずある
その逆もしかりで、いいことだけが続くことはない
また、こっちコミュニティでいやなことがあっても、こっちのコミュニティでは楽しい、そんなことはたくさんあった。
例えば、中学の時には、家庭、塾、クラス、部活と4つ世界があった。部活でレギュラーになれなくても、部活仲間といやなことがあっても、クラスの友達と楽しく話せたし、塾ではいい成績をとって充実していた。その逆もまた然り。
複数の世界と複数の顔を持つことはバランスを取るに置いてとても大切なことだった。
友達やかかわる人たちも少ないと息が詰まるけど、ある程度いると世界は広く、自分はひとりぼっちじゃないと思うことができた。
あとは、家庭は絶対的な家でありたい。母は必ず私を愛してくれたし、必ず私の見方だった。無条件に自分を愛してくれている、という自信があった。
反抗したり、母を見下してみたり、うっとおしいと思ったりすることもあったが、基本は尊敬していたし、愛されていた。絶対に愛されていると思うことができた。
わたしも、子供たちや夫には複数の世界を持たせてあげたいし、その中でも家庭という世界は絶対的な安心感を作ってあげたい。たくさん言葉で伝えてあげて、真剣に考えてあげたい。
話がそれた。
「私たち、母で妻で女です」っていう寒いキャッチコピーがあったけど、内容としてはいいと思う。
私自身だって
母で、妻で、娘で、妹で、親友で、仕事仲間で、同期で、旧友で、取引先で、上司で、部下で、、、。そんな顔をたくさん持っていたいとおもう。
家庭でうまくいかないことがあっても、それをほかの顔がカバーしてくれる。
そうやって生きていきたい。
今仕事を辞めると、母で妻で娘で…って家族だけが私の世界になる。
家族が一番大切だけど、私の世界はそれだけだと足りない。
いつか子供が離れていったら、子供に反抗期がきて、きズつくようなことを言われても、
母としての強さの上に、別の世界が私を支えてくれたらいいな。
だから、仕事はやめない。今は子供にべったりしたいけど、私の世界を捨てたくないから。
子供が安心して巣立っていけるように、私も自立しておかなくちゃ。
仕事はやめない。
でも、なにか不都合が出てきてしまったら、家庭が守れなくなりそうだったら考えを変えていこう。