「いつも笑顔で、いい母親」というキャッチフレーズは、あまり好きではありません。
母親に完璧さを求める、理想を押し付けた言葉のように感じるからです。
私が「自分には絶対にできない」と感じているからでしょうか…汗
にしても、積極的に目指そうともしないのには理由があります。
「いつも笑顔の母親」じゃないほうがいい理由。
(いや、笑顔が多いほうが、一緒に過ごす家族としては気持ちよいのですが…)
私が「いつも笑顔の母親」を積極的に目指さない理由。
それは…
「母親という大人も、所詮一人の人間である」という姿を子供に見せるためです。
もくじ
子供にとって親は自分の分身みたいなもの
生まれた瞬間から学童期まで、かなり長い時間を母親(養育者)と過ごしたとします。
赤ちゃんの頃は「おなかがすいたかな?」「寒いかな?」「こういうことをしたいのかな?」と、まだ言葉で意思表示ができない赤ちゃんの様子を、養育者は必死でお世話します。
「こう言いたいのかな?」をたくさん想像しながらお世話した結果、母親(養育者)は子供の一番の理解者となることが多いのではないでしょうか。
2歳~3歳で「魔の2歳児」「イヤイヤ期」というものが一般的に知られています。
自分に名前があることや、他者の存在を理解し始め、「自分のやりたいこと」が芽生え始める時期ともいわれています。
また、しゃべらなくても「おなかすいたね」「暑かったね」と理解してくれていた養育者に対し、「自分のしたいことをやらせてくれない!」「なんでお母さんは私がやりたいことが分からないわけ!?」と、やきもきしているからかもしれないなと思いました。
乳児期の赤ちゃんにとって養育者は、「自分のことをなんでも分かってくれる」分身のような頼れる存在でした。
幼児に成長するにつれ、「お母さんは私の考えがなんでも分かるんじゃないんだ」ということが少しずつ深層意識で理解することになるのかなと、自分の育児を通じ、感じています。
大人はみんな正しい人間だと思っていた
私自身が「お母さん」になるにあたって、意識していたのは以下でした。
「子供の前では動揺したり、泣いたりしてはいけない」
「子供の前で弱さを見せてはいけない」
「子供の前で間違えてはいけない」
上記は間違っていないと思います。母親としてどっしりと構え、子供を不安にさせないことや、は大事です。
一番身近な大人として、”あるべき姿”を見せることも大切なことだと感じます。
ただ、絶対ではないのかな、と。
母親だって一人の人間だから。
これは、学童期から徐々に子供に理解してほしいなと感じました。
自分の親になら何を言ってもいい
親なら子供のわがままも笑顔で受け入れるべきだ
大人はみんな正しい
と、大人に対する要求度、盲目の信頼度が高くなってしまうと、子供自身も後々困るのではないかなと感じます。
私自身、小中学生の際は「大人はみんな正しい」と思っていました。
先生の言うことは絶対正しいと思っていましたし、世の中の大人はみんな精神的にも成熟していて人生の答えを知っていると思っていたんですね(笑)
悪い大人は存在するとしても、テレビの中の悪役みたいに、見ればわかるでしょと思っていました。
危ういですよね…
「親だって同じ人間」と理解する日
「あ、お母さんも私と同じように間違えるし、不安になるんだ。同じ人間なんだ」と、学生の頃にふと思ったことがあります
お母さんは「お母さん」という生き物ではないんですよね。
1人の人間がたまたま子供を産み、「お母さん」の役割を一時的に担っているだけ。
これは「お父さん」「先生」も同じ。
子供達が「大人はみんな人間なんだ」と気づくのっていつぐらいなんだろう。
大人になってからなのか、思春期あたりで気づくのか、はたまたずっと気づかないのか…。
子供のころは、「齢を重ねたら自動的に、なんでもわかる大人になれる」と思っていました。
でも違う。
大人は齢を重ねただけで、子供の延長線にいるだけ。
(逆に子供だって、一人の尊重すべき人間です)
子供達が何歳で「親も人間」と認識するかは分からないですが、無理してとりつくろわず、「親も人間」という姿を見せてしまってもいいのかなと、私は思っています。
「母親は死ぬまで母親」にならないでいいかな
「大人もしょせん子供と同じ人間」について、遅かれ早かれ、社会に出たら気づく人は多いのではないかな。
しかし、「大人だって人間」を認識していても「母親も自分と同じ人間」と気づかないまま年を重ねる人もいるのではなかろうか。
今の社会って、「母親(親)」が担う作業がまだまだ多いですね。
・母親は笑顔で優しい
・母親は我慢して、子供においしいものを食べさせる
・母親はいつまでたっても子供に献身的に尽くす
・母親は料理炊事洗濯をするのが当然
…などなど
お母さん(親)は自己犠牲して当たり前と、子供達には思ってほしくないなぁと思います。
もし彼らが結婚することがあったとしたら、配偶者にその自己犠牲を押し付けてほしくないですし、逆に配偶者から「献身的な母親像」を押し付けられたとしたら「同じ人間扱いしろ」と主張できるといいなと願います。
社会人になってから理解するのでは困るかも
「大人社会だって、根っこは子供とおんなじ」
いじめだって仲間はずれだってあるし、機嫌が悪いと無視してくる先輩だっている。
気分で指示が変わる社長もいるし、自分も落ち込んで仕事が手につかないこともある。
「大人って何でもできるし、感情に振り回されない」と、思い込んで成長してしまうと、社会に出てからのギャップに戸惑い、苦労してしまうかも。
また、仕事やプライベートのパートナーに対しても、相手に「こうあるべき」を押し付けてしまうことにもつながりかねないと感じます。
もちろん大人として、社会人として、正しくあるべきという心がけは必要だと思います。
大人としての行動や教養を身に着けることは大切ですが、そうでない大人もたくさんいます。
さいごに
もちろん、一緒に過ごす相手は笑顔だと楽しい。
正しいことをしている人と一緒にいて気持ちがいい。
家族にとって「気持ちのいい人間」でありたいです。
「相手を尊重すること」のひとつに「笑顔で感じよくコミュニケーション」は含まれるでしょう。
不機嫌や失敗を相手に押し付けるのは、家族が相手でも、たとえ子供が相手でも失礼だと思います。
だからこそ、笑顔じゃない日があったっていいと思っています。
頑張れない日があったっていい。
「いつも笑顔」じゃない自分を否定しなくていいと思う。
人間だから。
もし家族や子供に言いすぎてしまったと思ったら、正直に謝るようにしたいです。
大人の友達同士でも、同じことしますよね。
「昨日、少し言いすぎてごめんなさい。感情的になってしまったので、気を付けるね」
そういうコミュニケーションの仕方を子供達に見せていけたらいいなと思いました。