子供が「学校に行きたくない」と言い出した時に親はどうしたらいいのか。
もしそのまま、子供が不登校を選んだとして、どんな道が待っているのか。
私は経験者でも何でもありませんが、2人の子を持つ親として、「こんな場合はどう親としては結論を持っておけばいいのだろう?」と考えることがあります。
結論がまだ出ていませんが、今考えていることなどを。
※主に本文では小学生の不登校に関して考察します。
中学生の不登校の場合、もう少し違ってくるかもしれません。
もくじ
「学校に行きたくない」という気持ちを尊重したい
「学校に行きたくない」と感じ、親に言えることがまずすごいと思います。
「学校に行きたくない自分はダメなやつなんじゃないか」
「みんな学校楽しそうにしているのに、なじめないなんて自分が悪いんじゃないか」
「学校に行きたくないと言ったら親を困らせるんじゃないか」
「学校に行きたくないと言ったら、親にいろいろ質問されて嫌な気持ちにさせられるだろうな」
いろんな感情が湧き上がってくる中で、それでも「今日は学校に行きたくない」と口に出して言えることがまず偉い。
私自身仕事もしていて、正直、小学校低学年の子供が学校に行ってくれないと困るのが本音です。
それでも、私に教えてくれたこと自体が、きっと、ものすごく勇気がいったのだろうということは、忘れないようにしたいと思っています。。
「学校に行きたくない」が甘えなのか、それとも辛いのか見極めることができない
ただ何となく学校に行きたくないのか?
勉強が面倒なだけ?
何か辛いことがあって学校に行きたくないの?
正直、親として見極められる自信はないのです。
もしかしたら子供本人も、甘えと怠惰の気持ちなのか、何か辛いことから身を守ろうとしているのか、自覚できていないことすらある。
そして、それは数年後に子供自身が自分を振り返ってみて、初めて「あれはただの甘えだったなぁ」と思うか「あれは、自分でも気づいていなかったが、心を守るためだったんだ」と思うか。
何年も経たないと分からないかもしれません。
だから、その時に死ぬほど考えて、親と子供で一緒に結論を出すしかない。
今日は学校を休む。
明日はどうするか。
ずっと学校へ行かないとして、どうやって生きていくのか。
家族で死ぬほど考えて、一緒に結論を出すべきなのです。
授業をさぼることで「できないことがみんなにばれる」ことから傷つく自分を守っていた。
ここで私の経験談を紹介します。
私は小学1年生の時、不登校ではありませんでしたし、学校に行くのが嫌だと言っていた記憶もありません。
しかし、授業をさぼる癖があった。
算数の授業、体育の授業になると、「おなかが痛い」と言っていました。
もう何十年も前のことなので、本当に腹痛があったのか、それとも言葉だけだったのかはうろ覚えです。
それでも、「あ、算数だ。お腹が痛いと言おう」という記憶があります。
当時の通知表にも「よくお腹が痛くなるようです」と教師コメントが残っていました。
当時の親と教師が、「サボりだ」と思っていたかどうかはもうわかりません。
でも、教師も親も私を責めませんでした。
保健室で休ませてくれたし、体育は見学させてくれた。
そのうち、自然と、授業をさぼることはなくなりました。
今になって思うのです。
あの時、大人が私を責めずに休ませてくれてよかった。
私はきっと、「できないことがみんなにばれるのが嫌だった」のだと。
なぜ、算数も体育もあんなに嫌いだったのか。
お腹が痛くなって授業にでたくなくなるほど嫌だったのか。
算数も体育も、できないのがつらかったのだと思います。
みんなみたいにできない、分からない。
間違うのが恥ずかしい。
「あめこちゃん、できないんだね笑」と思われるのが嫌だった。
できないことが嫌なのはもちろん、みんなに知られるのが嫌だったのでしょう。
そして、授業のたびに心が傷つくことから無意識に自分を守っていたんだと思います。(良くとらえ過ぎかな?笑)
でもよかったんですよ。授業をさぼっても。
その結果、傷つかなかった。
幸いにも大人から責められなかった。
友達も私を責めなかった。
そのおかげで、私は学校が嫌いになりませんでした。
その後勉強の遅れを取り戻すのは大変でしたが…。(2年後、危機感を感じた母がつきっきりで算数を特訓してくれた)
覚悟なしに「学校に行かなくてもいいよ」と許すと、子供が図に乗ることもある
「学校に行かなくてもいいわよ」と許すと、子供が図に乗ることがありますね。
子供が「今日も行かない」「明日も学校休む。だって行きたくなかったら行かなくてもいいんでしょ?」と言う。
子供は賢いので、親の心に隙があるとどんどん攻められて、言葉尻の揚げ足を取られて、楽な方に流れていこうとしますね。
(これは、親としてではなく、私自身が子供だったときこうだったから)
親としては、本気で辛いのか、それとも怠けなのか、見極められない。
(見極められなくて当たり前だと思います)
なので、親の覚悟なしに「学校へ行かなくてもいいわよ」と言えない。
万が一、そのままずるずると不登校になってしまったら、親もとても困るから…。
子供が学校に行かない場合に、親が困ること
1日程度なら、学校を休んで、仕事も休んで、一緒にゆっくり過ごしたっていいんです。
でも何日も、ずっととなるとだんだん親も辛くなってくる。
子供が低学年なら、親は仕事に行けません。
一緒に在宅して昼食を用意し、一緒に食べ、遊び、勉強を見てあげねばならない。
子供が学校に行かなければ、親が勉強教材を用意しなければならない
学校に行かない間、子供に何を指せるのか?これについて毎日悩むことになる。
親が何時間も授業して上げられればいいけど、かなり大変。
また、「今日はこれをやりましょうね」と教材を用意してやらせるのもそれなりに考えて、組み立てる必要がある。
子供に、「学校に行かないなら、その分を自分で勉強する必要がある。何をやるか、自分で考えてお母さんに説明しなさい」と言う手もある。
半分は子供に考えさせるのもいいと思いますが、内容を聞いて、判断して、希望の教材を準備して…というのもやはり体力がいりますね。
親がフルタイムの共働きや、シングルであればよりハードモードになる。
仕事を休めば収入が途絶えるし、仕事をすれば不登校の子供のことをフォローする時間が作れない。
これはとても悩ましい。
子供が学校に行かないと、何が問題なのか。
「どうして学校に行かなくちゃいけないの?」
に対する私の結論は
・レールから降りる場合は、降りた後どこにどうやって歩いていくかを自分で決めねばならない。
・レールから降りて、事故にあっても社会が救済してくれない
この二つです。別の記事に詳細を記載しましたのでよければ後で読んでください。
「学校に行かない」選択肢を選ぶと、人生が親次第になってしまう
子供は1人では生きていけませんし、自分で選べることが本当に少ない。
「学校に行かない」場合、親の体力に人生が乗っかることとなります。
いわゆる、江戸時代とかと同じ。
親がお金持ちで、子供の教育のことを考えてくれて入れば家庭教師を付けたりフリースクールを探してくれたり、海外移住してくれたりするかもしれない。
親がお金持ちなら、お金と知識をフル活用して、子供が「行きたい!」と思える居場所を用意できるかもしれません。
逆に言えば、お金がなければ親が勉強を教えるしかない。
教材を選び、時間をつくり、子供に勉強を教える。
親が勉強を教えられるパターンは、親が時間的余裕があり(働いていない)、勉強ができる場合に限られます。
親が働いていれば子供に勉強を教える時間を取れないし、そもそも教えるだけの知力が必要だったりする。
じゃあ、お金がなく、生活の為に働いていて忙しく、勉強も教えられない親だったら?
不登校になった子供はどうなるのか。
家で1日中寝たりテレビを見て過ごすのか?
図書館で本を読んで過ごすのか?
ゲームをして過ごすのか?
私の想像力が乏しすぎるのですが、だいたいは引きこもるんじゃないかな、と思います。
小学生が「一人で勉強しよう!」とはなかなか思えない。
楽な方へ流れるはず。
「誰かに教えてもらおう!」と思っても、誰に教わればいいのか。
学校は、親が何もできなくても子供に教育を受けさせて、社会に出て働き、自分でお金を稼げるようにしてくれる機関なんですね。
なので、もし学校に行かなかったら、そして親の支援がなかったら。
「社会に出て働き、自分でお金を稼いで生きていく」そういう道に戻れない可能性があります。
するとどうなるか。
親が生きていれば親に養ってもらい、親が無くなれば生活保護になるのでしょうか。
学歴が小学校で止まっていたら、生活保護の申請の仕方すらわからないかもしれません。
ネット環境があれば調べられると思うかもしれませんが、ネット環境すら用意できない親がいるかもしれません。
不登校の子供を親の力以外でどうやって助けるのかは、想像したよりもずっと深刻だな、と感じました。
おわりに
私の中で子供から「学校へ行きたくない」「どうして学校へ行かなくちゃならないの?」と言われた時の結論は出ました。
自分の子供からそんな言葉が出たら、「お母さんはこう思うよ。あなたはどう思う?自分でも考えてごらん」と言います。
子供が、どうしても学校に行きたくなかったら、私が元気でいる限りは全力でサポートします。
「学校が嫌だ」と感じたら、話してもらえる親子関係を築きたい。
でも万が一、私と夫が元気でなくなってしまったら。
そういう時に子供を助けてくれる機関や手は、あまりにも少ない。
不登校児を支援する公的な仕組みは、これから重要になってくるかもしれないですね。
記事紹介
とっちーさんの記事を読んで、単純に「学校へ行かなくてもよい」と言うだけではないことを深く理解しました。
親として、学校に行かない子供の人生を、よりずっしりと背負うことになる。
学校が受け持ってくれていた分も、親が背負う。
それでも子供には幸せで笑って生きていってほしいものなんです。
『息子が学校へ行けなくなって』
https://note.mu/emitochio/n/n4ec12a7d2164