ツイッターのこと

ネガティブコメントで消耗してます

ツイッターで日々赤裸々なツイートしていると、ふと、「あなたの意見は最低です」というようなことを言われることがあります。

いわゆるアンチコメントと言うのでしょうか。

 

私の場合、インフルエンサーにつくようなクソリプとはちょっと違って。

結構ちゃんと意見を持っていて、それなりにフォロワー数もいるアカウントから「この発言て、本質をなにも分かっていないから最低だと思う」と引用リツイートされてしまいました。(ガーン)

なんていうか…ちゃんとした批判、アンチコメントみたいな?(よりショック)

 

自分の想いを発信する以上、誰かに何か言われる可能性はあるし、思いもよらぬ発言が誰かを不快にしてしまう可能性は常にあるのだな、と感じます。

 

 

たった一言のアンチコメントで想像以上に消耗する

ほんのひとこと私のツイートを引用して、

「この女(親)ありえないですよね」

「そうですね」

 

というやり取りがされているのを目にしました。

たったそれだけで、想像以上に消耗しました。

 

 

批判的なリプや、コメントが他人についているのは、タイムラインでよく目にしますよね。

人が言われているのを見てもサラ~っと流しますが、いざ自分がやり玉にあがるとめちゃくちゃ動悸が…!笑

 

・このコメントに返そうかな、いや、スルーかな
・私の発言はそんなにおかしかったかな
・これ以上おかしな方向で拡散されないだろうか
・もっと変な人に絡まれたらどうしよう

 

たった一言ネガティブなコメントつくだけで、いろんな思いがめまぐるしく頭の中を駆け回るので、パンクしそうになります笑

 

そして焦っていらぬ行動を起こしてしまう。

(こわ!と思って鍵垢に変えた後、いや、鍵かけたら余計に興味をそそってしまうかも…と思いなおして一瞬で外しました笑)

 

たとえ親友でも、私とあなたは、絶対に分かり合えない

ツイッターで知れて本当によかったな、と思っている考え方は

・私とあなたは絶対に分かり合えない
・私は私、あなたはあなた

両方とも有名なアカウントを運用している方がそれぞれ発信していたポリシーです。

私にはすごくしっくりきました。

世の中にはいろんな立場、バックグラウンド、宗教、考え方が違う人びとがいる。

それこそ、お互いを理解し合うことなど、そもそも不可能なのです。

 

理解して分かり合えなくてもいい。

相手の考え方に賛同できないことがあったとしても、友達でいていいし、家族でいていい。一緒にいていい。

 

家族など近しい人ですら、考え方に相違があったとしても一緒にいていいのですから、距離が近くない人とはそもそも分かり合えなくてもいいのです。

 

私は私が感じた感情を肯定していいし、あなたはあなたが感じたことを肯定していい。

全てを分かり合えないし、そもそも分かり合わなくてもいいんですよね。

 

私は私で、あなたはあなた。
私が思っていることはこうだけど、それを他者に強要しない。

 

例えば、私は自分が妊娠中たくさんの人にやさしくしてもらった経験があります。

私自身は電車で立っている妊婦さんを見かけたら席を譲りたいな~と思います。

 

でも、世の中の全員の人に「妊婦には席を譲りたいな~、と思うでしょ!?とは言わない。

 

私の正義は私だけに有効で、あなたも同じ正義をもて、とは言わないんです。

 

私「電車で妊婦さん見たら席を譲りたいとおもいました」
誰か「私もおもう!」
私&誰か「だよね~」

これはOKですが、

 

誰か「私は別に、妊婦がいても自分が座っていたいです」

という人に、「妊婦に席を譲らないなんて、お前は間違っているから考え方を変えたほうがいいよ。」とか、

「妊婦に席を譲らないなんてありえないよね~」とは言わないように気を付けたい。
「そういう人もいるんだね」それだけでいい。

他人の行動を強要しなければ正直、心の中でどう感じていてもいいのだと思います。

(その心の中をどんな人がどれだけ表に出していくかはまた別の話なのですが。)
(どの心の中のポリシーを行動に表していいのかどうかもまた別の話なのですが。)

もしかしたら、元の発信者の方とずれているかもしれませんが、今の私の解釈としては上記のとおりですね。

 

 

世の中にはいろんな経験、立場をつみ、いろんな考え方の人がいることを知る

ツイッターしていてすごく思ったのが、「世の中には、本当にいろんな人がいる」ということです。

(「道路族」とか先日初めて知ったよ…。

あと「ワーママ迷惑。許さぬ」とか

「子連れ大嫌い」に特化したツイッターアカウントも多いのだね…)

普段私が生活しているフィールドで出会うことがないような人たちがいる。

もしくは、いろいろ思っていても、普段は口や態度には出さない。それでも「確実に敵意を持っている」人がいる。

ということです。

例えばツイッターで
「母親のくせにマニキュアするなんて」という意見を見かけまして。
私の周りにそういうことを言う人はいないんですよ。

しかし、確実にそう感じている人はいるということですよね。

また、もっと強い敵意だと
「子供が騒いだり走るのが迷惑。注意しない親も許せない」という意見もツイッター上ではよく見かけます。

狭い世界で生きている私は、実際の会話でこういう意見と出会ったことはないですし、そういう現場に遭遇したこともありません。
ですが、確実に上記のことで子連れに対して激しい怒りを感じている人がいるし、そういう親を許せない人がいる。

その事実を知っているか知らないかで、危機管理やいざというときの対処方が違うな、と感じます。

 

子供連れや、ワーママを心底憎んでいる人もいるということが、ツイッターを見ていると分かります。

 

「もしかしたら、子連れの私に敵意を持っている人がいるかもしれない」と知ることができたのは、SNS使ってて実感できたことでした。

 

危機管理と言えば、いろんな界隈を垣間見ることができるので、事例を知るのにツイッターは大変有効です。

 

例えば飲み会にしたって
「女の子がトイレに行った時に飲み物に細工をする」とか
「とにかく強いお酒を飲ませてしまえばこっちのもの」とか。
そういうことがあるという情報を知ってるか知らないかだけでもリスク管理の仕方がかなり違う。

 

 

ええと、話がそれすぎた…。

 

何が言いたいかというと、

「いろんな人がいる」

それに尽きます。

 

アンチコメントがつくことで「自分がどれだけ人を傷つけてるか分からない」ということを自覚した

 

私は生きてるだけで、ただしゃべっているだけで誰かを傷つけている可能性があるんです。

 

例えば私が「貧乳改善したい!!」とか、「ブラジャーはこれが良かった!!」とか垂れ流してる横で、手術で肩乳房を取ってる人もいる。
その人は黙っていて、私には何も言って来ない。けれども、もしかしたら心のうちにしまってるだけで、私の発言を聞いて傷ついてるかもしれない。

 

例えば不妊治療で悩んでいる人がいる。私が「子供の宿題見るのが辛い」と言ってるのを聞くだけで傷ついてるかもしれない。

 

以前見かけてとてもハッとさせられたツイートがこちら。

「この日本で育って、差別してる人はいない。
わたし達はなんらかの差別をしてると自覚するべき」

 

そうなんですよね。

誰も傷つけずに生きていける人なんかいない。

 

わたしはただ何の気なしにしゃべっているだけで、誰かを傷つけてるかもしれないと自覚することが大事なんだと思いました。

 

批判的なコメントでRTされたり、リプをもらった時はここに立ちかえる

10人いたら、10通りの考え方感じ方があって、もしかしたら私の生き方は大勢に批判される生き方かもしれない。

でも今私が感じたことは事実だし、そのことで自分を責めない。

批判的なコメントRTでさらされたり、リプライをもらった時には、そう言い聞かせて心の平和を取り戻します。

そして極力ミュートにします。

ちなみに、ブロック、ツイ消し、鍵かけは燃え草になるので危険だそうです。
もし炎上したら「いいね」すら油になるらしいですね。

 

誰かが「いじめほど楽しいものはないから、なくすのは困難」と言っていました。
ツイッターを見ていてもそう感じますね。

 

寄ってたかって誰かの悪口を言うことで快感を感じるのは人間の本質なのかもしれません。

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アンチコメントでストレスがかかったときこそ、思考を深くしてみる

知らない人でも知っている人でも、批判されたり、文句言われると心がざわざわします。

ざわざわした時にとる選択肢は二つ。

 

・見ないふりをしてなかったことにして忘れる
・どうしてそう思ったんだろうか、私はどう行動すべきだっただろうかと深く考えてみる

 

私がとる行動パターンは時によってさまざま。

見ないふりしてすぐ忘れるのも得意です笑。
自分のキャパを超えてしまいそうな時や、傷つきすぎてしまいそうなときは即逃げますね。
その場から逃げて、防炎シャッター閉めてなるべく遠くへ行って、ざわざわが落ち着くまで違うことをします。

 

比較的心が元気なときなどは、一度受け止めて自分の中で咀嚼します。
普段は狭くて平和な世界に生きているので、こういう心理的負荷がかかることって、そう多くはないんですよね。
なので、もぐもぐ噛めるときは噛みくだいてみて、自分の思考を深めるのに利用します。

 

やっぱり一つのことを深く考えたことがある人と、表面だけなぞってきた人では、深みが違うと思うのです。

 

今日だって本当は忘れて寝たかったけど、もやもやして整理したくなってつい、噛み砕いてアウトプットしてしまった。

 

批判に対する「慣れ」もあると思う

叱られ慣れていない子供が学校で叱られた時に深く傷つくのと同じように。

「批判」「ネガティブコメント」に対する「慣れ」って確実にあるはず。

普段ネガティブな事を目にしないし、ましてや言われたことなんかない箱入り状態で切れ味のある言葉を受けたら、結構傷つきますよね。

しかし、何度も何度も言葉のナイフを受けていけば

・意外に切れ味悪くて大したことないな
・避ければいいな
・あれ?これ戦えるんじゃね?

経験値がガンガン上がっていきますよね。

ネガティブコメントをもらったとしても、ダメージ受けずに対処できるようになっていくのだと思います。

実は私も、ネガコメは初めてではない。

ネガティブコメントもらったのは3回目かな?

1件のアンチコメントには、300件の不快が隠れている。あめ子です。 ネガティブコメントについて、思うこと。 ネガティブコメントで消耗するくらいなら、コメント欄は消す ...

以前よりもだいぶ回復、立ち直りも早くなってきました!

しかしながらまだ避けきれてなく、確実に流血してます笑。
イタイよー。

傷つきながら、もがきながら発信を続けていきます。

自分を顧みる機会にしつつ、少なくとも経験値あがったと思って次に進みたいです。

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