「どうして学校に行かなくちゃいけないの?」と、子供に聞かれて返答に困る親も多いのではないでしょうか。
私も、どう自分の中で結論付けたらいいのかとても考えました。
「みんな行ってるからよ!」「勉強できないと困るでしょう」だけではおそらく子供は納得しない。
私なりの結論を持っておく必要があると感じています。
「学校に行かなければならない」に対する私の結論は
・レールから降りる場合は、降りた後どこにどうやって歩いていくかを自分で決めねばならない。
・レールから降りて、事故にあっても社会が救済してくれない
この二つです。
学校と言うレールから外れるリスク
ここでは主に小学校の不登校を考えたいと思います。
中学も似たようなものですかね。
高校ともなれば、ある程度自分で動けますし、考える力もついているはず。
なんなら働くこともできるので、高校生で学校行きたくない人は、自分で湯気が出るほど考えたらいいと思います。
さて、レールを外れるということ。
この重大さ、レールをとおってきた人間にしかわかりません笑。
ちなみに、私はレールに乗っかって生きてきました。
小学校から高校までスムーズに楽しく通い、大学を卒業し、新卒で正社員に就職した。
いわゆる大多数の人が通るだろう道をそのまま通ってきました。
いわゆる、レールに乗った人生です。
だから、レールから外れた場合の人生や景色を知りません。
外れたときのリスクは想像でしかない。
だから、レールを外れたことがない、狭い視野の大人の意見だと思って聞いてもらえたらと思います。
はじまりの駅からのる電車
例えるなら、長距離列車です。
「はじまりの駅」があります。
6歳になりました。大きな電車「小学校」が来ました。みんな、これにのって、「卒業」駅へ向かいましょう。
電車の中はルールがいっぱい。だってみんなで気持ちよく乗る電車だから。
勝手に好きな時間に食べてはいけないし、勝手に電車を降りたらいけない。
電車に乗っている間はお勉強しなくちゃいけないし、電車に乗ってる人同士仲良くしないといけない。
それでも電車に乗っていることで「卒業」駅には一番スムーズにつくんだよ。
ここで、「私はこの電車嫌だから、降りる」と決めたとします。
自分で決めて偉い。
降りると周りは土だらけでなにもない。
駅もない。
人もいない。
街も見えない。
そんな中、私はどこへ行くのか、自分で考えて、目的地を決めないといけない。
自分の足で歩いて、どことも知れぬ自分で決めた目的地に行かないといけない。
そうしている間に、みんなは着々と目的地へ、電車に乗ってレールをなぞっている。
そんな状況が、義務教育のレールから降りるということです。
自分で決めることが途方もなく膨大になる。それがレールを降りるということ
まず、小学校は義務教育なので、ほとんどの子供が小学校に通います。
小学校、中学校にほとんどの日本にいる子供は通うのです。
日本での生き方を学びます。
小学校の勉強ができないと、雇ってもらうことが難しくなります。
小学校の勉強ができないと、自分で仕事を始めるのも難しいです。
特に、読み、書き、掛け算、割り算。
これができないと、この日本で生きていくのは大変に困難です。
もし、読み書き、掛け算、割り算なんか楽勝だから、もう学校に行かない!と思ったとします。
(楽勝なんて羨ましいなぁ…)
じゃあ自分は、学校に行かないでこれからどうやって生きていくかを、真剣に考えていろいろ行動しなくてはならなくなるわけです。
学校に行かないで何するのか。
ゲームを極めるのか。
ユーチューバ―になるのか。
小説家になるのか。
みんなと同じことをして、同じレールの上を走っていれば、レールの上を走りながら自分の将来を考えることができます。
中学校まで卒業していれば求人はあります。
しかし、不登校で、「小学校を途中までです」という人材を雇おうとする会社は少ないでしょう。
自分でお金が稼げれば問題ないですが、雇われずにどうやってお金を稼ぐのか、みんなと違うことをしているわけですから、真剣に考えないとくいっぱぐれてしまいます。
学校に行かないで、レールから外れるということは、みんなよりも何倍も多くのことを考えて、トライして、自分だけの道を探す行動が必要になります。
レールから降りて事故にあっても、社会が救済してくれない
学校へ行くべき2つ目の理由はこれ。
電車のたとえ話をしました。
例えば、電車が事故にあったり、レールが壊れてしまったら、大事故です。
直すために鉄道会社が対応しますし、けが人がいれば救助が来ます。
これは実際のことに置き換えると、ちょっと難しいのですが…。
例えば、多くの人がたどる道が崩壊した場合、国が対策することが求められます。若者の80%が失業したら、国は対策にでるでしょう。
マジョリティにいるだけで、いろんなリスクが減ると思います。
逆に言えば、電車を降りて一人で歩いている人が、落石に合って大けがしても、誰も気づいてくれないかもしれませんし、助けてくれないかもしれない。
元不登校児が就職できずに1人で飢えていても社会は助けに来てくれないのです。
さいごに
「学校へ行かなかければならないの?」に対し「みんな行ってるから」という答えはある意味真理です。
みんな行っているところへ行けば、自分で考えて選択したり、道を切り開かなくてもある程度は生きていけるからです。
学校へ行かないのであれば、その分他の子供たちよりも覚悟が必要。
それなりに自分で生き抜くための思考や選択を繰り返さねばならない。
それが私の結論になりました。
とはいえ、死ぬほど学校がつらい子は、とりあえず逃げてほしい。電車を降りてほしい。
ひとりになったら、ゆっくり考えてほしい。
また、次の電車に乗ることだってきっとできるし、もしかしたら、親が一緒に道を探してくれるかもしれない。
死ぬほど嫌だったら、まず嫌なことから離れる。
離れてから考えよう、じっくりと。
それも私の一つの結論です。