私が会社を辞めた理由。
未だに、ここ数年の辛かった記憶が成仏していなくて、「辞めた理由」を話そうとすると涙が出てくるのです。
いじめられたわけでも、ハラスメントされたわけでもない。
それでも私が育休あけてから勤めていたここ5年、本当につらかった。
もくじ
とにかく仕事に割くリソースが大きすぎた
私が第2子を出産後復帰した時、同僚、上司がほぼ異動で入れ替わっていました。
また、仕事のやり方、配属先の部署も変わり、復帰とともに別の職場にやってきたような状態でした。
時短なので6時間の勤務。
周りは残業ありのフルタイマーばかりのため基本は1日10時間勤務。
私は他のメンバーに比べて6割の時間で、ベテランの仕事ぶりを求められました。
仕事時間以外も仕事のことを考えないと、とても回らない。
「明日は商談がある。上司が同席するから相手の数値資料を読み込んで、商談の流れを考えて明日朝一で上司へ説明して…」
通勤時間や帰宅後は、今日の夕飯の事や、息抜きにウェブニュースを見たりしたいのに、そんな時間はない。
スキマ時間も睡眠時間も全部仕事の準備で頭が占領されている。
眠いのを我慢して寝落ちせずに仕事をしあげて職場へ持っていく。
それでもクオリティは5割にも満たず、納期もぎりぎり。当然ながら私の評価は低かった。
子どもの発達のことも、献立のことも、次の休みに何をするかも考える時間がない。
仕事にリソースを全振りしないととても自分の業務が終わらない。
日常のすべてを犠牲にして仕事にコミットしようとしているのに、ミスばかり。
足りないことばかり。
自己肯定感は上がらず、評価も最悪。
職場では昼ごはんもままならず仕事に戻り、同僚と雑談する暇もない。
孤立していく。
「忙しそうだし…」と話しかけられなくなり、すると私からも話しかけにくくなり、協力を仰いだり、分からないところをきいたりすることもできなくなっていきました。
そう、仕事に注力せざるを得ないのに、その仕事で満たされない。
日常生活で家庭のことが回らない。
時短だからお金もない。
育休から復帰したばかりだからボーナスもない。
誰からも認めてもらえない。
この数年が、本当につらかった。
「がんばらない」ができなかった
業務も、家庭のことも、育児も、すべて自分で背負ってしまっていました。
よく、「がんばりすぎないでいいのよ」というけれど、今頑張らなかったら、明日の私がもっと辛いのが分かっていました。
「仕事も見切りをつけて、あえてやらないでいい」
→やらなければ明日の商談ではなにも話せない。あさっての会議でも、進行ができない。
「洗濯しなくても大丈夫。お風呂に入れなくても子供は死なない」
→今日洗濯をしなければ、明日子供に着せる服はない。保育園に持っていく着替えもない。買う暇もない。
真夏にお風呂に入っていない子供とベッドで寝るのは自分が辛い
仕事でも家庭でも「私がやらねば、他に誰もできない」という状況ができてしまっていたのです。
なぜ私が自然に、家庭を背負ってしまっていたのか
今振り返ると、当時、家庭のことも全て私が背負ってしまっていたように感じます。
家事育児はもちろんのこと、子どもの発達に関するトレーニングや通院、手術の事、保活、あらゆる書類関係など、なぜかすべて私がやっていました。
子どもが熱を出した時の対応も全て私が休んで駆けつけます。
家庭のことは私がすべてやっていたような気がします。
もしかしたら、夫もやってくれていたかもしれません。
でも、まったく記憶にない。
夫が手を差し伸べて、協力してくれて助かったという記憶はありません。
なぜだったのか、と今でも考えることがあります。
なぜ当たり前のように時短をとるのは私で、送迎も私で、家事育児のすべてを私が自然にやっていたのだろう。
もしあの時、夫が早く帰ってきて夕飯を作っていたら。
私は家庭のことなど考えずに仕事に集中できて、たくさん残業していたなら。
もしかしたら私は仕事を辞めていなかったかもしれないとすら、頭をよぎってしまいます。
そうでなくても、子どものことを考えたり、食事の準備や日々の片づけ、保育園の準備などを、もう少し夫にもしてもらっていたなら。
今こんなに傷が深くなかったかもしれません。
仕事も仕事で、業務量が多すぎた
私の職場は、慢性的に人手不足で、業務が多く、みんな疲れ切っていました。
私が「仕事量が多く、時短の時間内に終わりません。辛いです」と上司に交渉した時、
上司はこういいました。
「あなたは家庭があるのだから完璧にしなくていい。できないことは他の人に頼みなさいね」と。
一見、とても理解があるように感じます。
でも、そうではないのです。
なぜ私が、業務を他の人へ振り直さねばならないのか。
最初から上司がわけておろしてほしかった。
6割の時間でしか働けない私には、そもそも6割の仕事を割り振ってほしかったのです。
慢性的に残業が多い職場では、みんないっぱいいっぱいでした。
ただでさえ忙しい後輩や同僚に、仕事を頼むのは本当に申し訳なく、また、説明と引継ぎをする時間すら足りない状況でした。
お前の力量不足なだけではないのか
ここまで書いてみると、夫にもっとやってほしかった、上司にもっとやってほしかった、私は頑張ったけどミスばかりでした、という内容です。
「お前が単にでくの坊だからではないのか」
そんなつっこみもあるでしょう。
私だって自分を責めましたよ。
「なんでみんなできているのに私はできないのか」「そもそも私が能無しなのが悪いんだ」と自分を責めました。
「完璧にしようとしていない、手抜きでいいと思っているのに。最低限のことすらできてない」と毎日泣いていました。
力量不足な人だっているのですよ。
ひとりでは仕事と家事育児をできない人間だっているのです。
自分と自分の家族の幸せを最優先に考えられる仕事がしたい
私の反省点として、「家庭を優先」するつもりで「仕事を優先」していたことです。
というか、そうせざるを得ない環境であり、その環境に自分の身を置き続けてしまった。
そうしたバランスが取れていない状況が続くことで、どんどん心も体も狂っていったのだと思います。
できない仕事は断り、好きな人と仕事をし、生理痛が重い日は家で寝ているような生活がしたい。
そういう人生を取り戻しに行きます。
時代が変わる過渡期
今は過渡期です。
私が苦しんでいた10年前のスタンダードは
「女性が働きやすい会社で共働き。出産後も女性が家事育児を両立しながら仕事を続ける」という社会でした。
今、まさにそれが変わりつつある。
「男性も家事育児の当事者であり、育休、時短をとって男女同じように仕事を続ける」という社会に代わってきています。
実際、下の子の通う園では保育園の送りの半数が男性です。
今はまだ、女性が時短をとるほうがスタンダードです。
しかし、今後は男性も同じように時短をとるような社会になっていくはず。
以前ネットでこんな意見を見かけました。
「男性が女性と同じように育休、時短をとるようになれば、採用における男女の差はなくなる」
本当にその通りです。
女性を採用するとどうしても出産に合わせて仕事に穴が開いてしまう。これは経営側としても悩ましいでしょう。
しかし今後は、男性を採用しても妻の出産に合わせて仕事に穴が開くようになります。
経営者は、男女問わず社員の育休を前提として事業をまわしていかないといけないのです。
あの頃の私はいまだに成仏できていない
私はいまだに当時のことを思いだすと泣いてしまうし、悔しくなってくるし、うまく人に気持ちを話せない。
夫が協力的で、出産後もイキイキ働いている人を見るとうらやましくなります。
時代が大きく変わり、私自身も幸せな仕事をして稼げるようになったら、この気持ちが成仏するのではないかと、思っています。