自分が主語厨のにじのあめこです。
「自分が主語厨」って最近作った造語なんですけどね、
「自分が主語」なのは大事だよ!っていうメッセージを声高に叫ぶに当たり、
なんか意識高い感じがしていい感じなので「厨」つけました☆
どうも。あなたは誰が主役の人生を生きてますか?
ですよね。
自分の人生、自分が主役ですよね。
私も、自分が主役だと思っていたんですけど、自分が主役を演じてなかったことに最近気が付きました。
◆「子供が…」「旦那が…」「会社が…」が主語になっていない?
私自身そうだったんだけど、
という風に、子供を理由に何かをあきらめたり、勝手に身の丈を設定していなかった?
してた。め~っちゃしてた。
っていうか、正直若干、まさに今もしている。
夏休みなんで~
忙しくて~
ライターできません~
すでにやってたわ。(反省)
まあ、それはさておきね。
ちなみに、子供の弁当作りや、宿題サポートを「私が」したいから、
「私が」疲れたので、ライターを夏休みにしています。
◇「私が」選んでいるのか。どうしたいのか、全然決めていなかった。
いつからか、「身の丈」を大事にし始めてしまっていました。
冒険はしない
手堅く生きる
だってもう大人だし、甘いこと言ってられないよね。
そんな感じでこの10年過ごしてきた。
高校生の時に「宇宙飛行士目指したいから、理系の大学行かせてよ!」とか無謀なこと言っていた私は影もなく消えた。
で、小さく細く、道を踏み外さず、失敗せずに生きていこうとしていたわけ。
「私には無理だよな~」
「私にはこれくらいの小さいお家がお似合い」
「私たちレベルにはこのレベルの生活じゃない?」といつの間にか夫をも巻き込んで。
まさに下げマン。
◇細く長く生きられなかった
私は、大学をなんとか卒業して、いい会社に入って。
その会社に一生寄生して生きていくつもりだったんだけど、それすらできなくなりました。
育児家事と、仕事の量に追いついていけない。
追いついていけなさすぎて泣く。
全然細くな~い!!怒
つら~~~い!!
仕事がパンクしてしまい、会社を辞めた後に考えました。
◇周囲の環境が10年ぶりに変わった
ブログ始めて、ツイッター始めて、オンラインサロンとか入りました。
世界が違った。
フリーランスの人、起業している人、会社なんかクソだゆってる人。
まぁ、単純なので、感化されましてね。
「あ、自分が何がしたいかを明確に持っていていいんだ」
と感じました。
「自分が選んでOKで、大それた夢を持ってもいいんだ」
ということも分かりました。
そう、そして私は、「自分が主語厨」になったのでした。
今ではね、子供とプールに行く時ですら、
「私は本当はどうしたいの…?
私はプール嫌いなんじゃないの?
でも子供とプールに行く思い出が欲しいのは私…!?」
と問えるまでに成長しましたよ。(うっとおしいね)
◇自己中になった?
でね、「自分が」ってなると悪い意味で自己中になるかな、と思いきや意外にそんなことなくて。
「私が」したいことの軸のひとつに
「家族と友達を大事にしたい」っていうものがあるわけ。
家族を大事にすることで、自分にとって心地いい家をつくりたいし、家族の心が安定することで、自分も幸せになることを知っている。
「家族」が好きだから、「好きな人には幸せでいてほしい」っていう、ピュアな気持ちもちゃんと持ってたよ(バンザイ!)
また、「家族を大事にしている自分が好き」っていう、ナルシスト魂もきっとあるよね。
なので意外と、自分を大事にしても周りの人に迷惑かけることはなかったと思う。
さいごに
と、いうことで、
「私がどうしたいか」
「私が何を言いたいのか」
この2つを心から大事にしていきます。