にじのあめこです。
何か新しいことをするときや、必死で頑張っているとき。
また、なんだかとっても幸せな時。
「どうせ失敗するんじゃないか…」と最悪の事態を想定してしまう癖があります。
でもこれは癖じゃなかった。
自分を心理的なダメージから守るための生理現象だった。だから「自分はネガティブなやつだなぁ」と自分にがっかりしなくていいんですよ。
もくじ
「幸せすぎて怖い…!」の本当の意味
会社でプロジェクトを必死で組み立てて頑張っているとき、「どうせ、このプロジェクトはおじゃんになるんじゃないか」と思ってしまう。
大好きな人とパートナーになれたときに、「どうせ浮気するんじゃないか」と思ってしまう。
子供も生まれて、今自分は幸せいっぱいの家庭だなぁと実感した時に「明日にでも事故にあったらどうしよう」と思ってしまう。
私これ、めちゃくちゃよくあります…!特にプロジェクトなんかは、失敗する夢まで丁寧に見ちゃったりして。ぐったりと疲れます笑。
いわゆる、「ああ!私!幸せすぎて怖いわ…!」的な。昭和の少女漫画みたいなそんな感じ。
これって、ただネガティブなわけではないんですよ。
幸せすぎたり、一生懸命頑張っているときに、それが裏切られた時の心のストレスを緩和するための生理現象だと思っています。
ですので、「幸せすぎて怖い…!」は当然なことです。
また、幸せな人や、成功している人はそれだけで妬みの対象となり、何もしてないのに足を引っ張る人が現れます。
これも太古の昔からそうなんですよ。
だから国にとって素晴らしいこと(皇太子さまが結婚したり、帝に男児が誕生したり)があれば罪人に恩赦がでますし。
結婚式では引き出物と称してお祝いをおすそ分けとして配るわけです。
※引き出物は今となってはご祝儀のお返しみたいなものですが、もともとは招待客へのお土産だったと聞きます。
また、地域によっては、花嫁さんが道端でお金や食べ物を配ったりします。
国によっては、式の前に新郎がめちゃくちゃひどい目にあわされる風習のあるところもありますよね。
蛇足ですが身体に傷をつけると厄払いになるというはなしとかも同じテイストに感じます。
「幸せのおすそ分け」や、困難を演出するのは、人々からの妬み除けだと、私は思っています。
最悪のことを考えてしまうのは、傷つくストレスから自分を守るためだった
さて、最悪のことを考えてしまうのは、想定通りに行かなかったり、幸せの絶頂から悲しいことが起こった時に、「自分が傷つかないように」守っている生理現象です。
生理現象なので、「なんで自分はこんなにネガティブなんだ…!」と自分自身にがっかりしなくていい。
想定通りに行かないことで、傷つくことはとてもストレスになるんですね。
ストレスから身を守るために、必然的に「どうせうまくいかないかも…」という想像が膨らんでしまうわけです。
経験値が高い人、臆病な人や、心配性の人、たくさん傷ついてきた心のアンテナが高い人ほどこうなんじゃないでしょうか。
老人が若者に「どうせうまくいかんよ…」と言うのもおなじです。
現状が変わってしまうことを防止するホメオスタシスが強く、また失敗した時のダメージから自分を守るためといった意味合いがあると思います。
(老害はまた別の嫉妬などの要素もありますが)
小さな子供はあまり失敗を恐れません。
子供は経験値が低いし、失敗して人にばかにされたこともない。
「ホレ見ろ!」と言われたこともない。
だから失敗することなんか微塵も考えない。
「降りれなくなったらどうしよう」なんぞ考えずにジャングルジムを昇っていくし、高いところからジャンプするし、知らない道を飛び出してかけていくわけです。
だから、最悪のことを想定している自分に気が付いたとき、「自分はネガティブだ」とがっかりしないでいいんです。
「自分はたくさん傷ついてきた経験があるから、傷つかないように体が反応しているだけ」
「さまざまな経験から、リスクの想定ができているだけ」
と思うようにしています。
心が傷つくことによるストレスは生命をも脅かす(と思う)
人間にとって、傷つくことって相当なストレスなんですよね。
傷つくことは恐れたほうがいい。
傷つきすぎたら、心が病んでしまうので。
身体も、心が傷つくことは回避するようにできていると感じます。
嫌な職場に行きたくなければお腹が痛くなるし、嫌な経験は思い出して再度傷つかないように忘れていきます。
心が傷つくことを重ねると、生命にかかわるくらいのダメージになりかねないのです。
だから、「いい感じだな」と思ったら条件反射で「いや、こんなにうまいこといかないよね」と思ってしまうし、
「新しいことはじめようかな」と思ったら「どうせうまくいかない」と思ってしまうものなのです。
実際、人生山あり谷ありの法則を実感
いいことがあったら、そのあとは嫌なことが。
良いことと悪いことが交互におこるのも事実ですよね。
人生山あり谷ありと言うのは真理に感じます。
私は13歳くらいの時にこれを悟りました。
(さすが思春期。いったい何があったのやらもう覚えていない…)
あまり重く考えずに、いいことが続いたら、「浮かれずに少し気を引き締める程度」で楽しい人生にしたいですね。
最悪を想定することは、仕事では良いが、プライベートでは辛い
ビジネスにおいては最悪のケースを想定することが重要だです。
医師であれば、快方に向かうケースと、悪化した場合を想定し、両パターン想定したうえでベストな処置をするでしょう。
プロジェクトであれば、うまくいったときの利益も想定するとともに、懸念点は洗い出してつぶしておき、イレギュラーな事態が起こった時にどう対応するかを想定しておくべきです。
人生においてはもう少し明るく楽しくぽわっとしていたい。
人生において、懸念点を洗い出して、最悪の事態を想定してたら、何もできなくなってしまうような気がする。
楽しくないし。
なので、最悪の事態は、思い浮かんでしまうもの。
仕事ではどんどん考えて、人生では生理現象だ~とおもって忘れて現在を大事にすればいいと思います。
引き寄せの法則と、最悪の想定。どう折衷すればいいのか
私なりにまだ結論がしっかり出ていないんですけど。
「最悪のケースは懸念点潰しに利用し、どうしようもない不安は忘れるしかない」が今のことろの結論です。
「引き寄せの法則」という言葉をよく聞きます。
パッときくと胡散臭く感じるのですが、よくよく成功者の人の著書を読むとみんな同じようなことをやっているのですよね。
なりたい姿や、ありたい自分、手に入れたいことをリアルに強く想像することで、それを実現する行動をとるようになっていくというもの。
私自身「引き寄せの法則ってスピリチュアル系か…」と思っていましたが、なんとなくわかるようになってきました。
詳細はこの記事では省きますが、要は成功している姿をありありと常に思い描くことが大事なんですよ。
ともすると、精神のリスク管理機能である「最悪のケース想定」とは真逆なわけです。
成功させたいから成功した姿をありありと想像しつつ、「失敗するんじゃないかな…」を想像してしまうのはすごくつらい。
いやいや、私は幸せになりたいんだって。「近いうちに事故るかも…」とかいう想像はいらないから!と思います。
最悪の想定と、引き寄せのイメージはまったく異なる性質です。
最悪の想定は思い浮かんでしまったら「これは生理現象」とまずはつぶやいて落ち着く。
そして、「最悪の想定」は成功イメージに近づくための不安材料潰しに利用するのが一番かと思っています。
例えば、「ブログで月収50万達成したい…!」と強く願ったとして。
「どうせ続かない…」
「どうせ私にはできない…」
「どうせ成果が出る前にブログがオワコンになる…」
という、最悪想定がふつふつとわいてくるわけですよ。
続かない→続けるための工夫をどうするか
私にはできない→自分を信頼するためにどうするか
すぐにブログがオワコンになると思う→オワコンになった時にどう働くか
少し仕事のリスク管理みたいになってしまいましたが、不安に思ったことを解消するために利用すると、より成功率が上がる気がしています。
なんか似たようなことをこんな記事にも書いてた…。
これは、何かをするとき、後から後悔するのが怖い時の考え方です。
まあでもどうしようもないので忘れるしかない最悪のケースもありますね。
たとえば、妊娠できた!→「流産したらどうしよう…」「子供が障害を持っていたらどうしよう…」などの不安はもう、どうしようもないんですよね。
これで、流産のリスクや回避方法などを調べていると、さらに頭が流産のことで埋め尽くされてしまい、あ~そうこうしているうちに流産を引き寄せてしまったらどうしよう…などは、もう本当に苦しくなってしまうので、別のことを考えるしかない!と思います。
さいごに
私自身、自分に自信がないことが多いし、ネガティブに考えてしまうことが多くあります。
それでもそんな自分を肯定して受け入れながら楽しい人生を勝ち取っていきたいです。
楽しい人生にしたいけど「最悪こんなことが起こってしまったら…」がもくもくと浮かんで来たら。
それはネガティブな私のせいでも、自信がないせいでもない。
これは生理現象。くしゃみだと思って吐き出したいと思います。